ゆずと森林鉄道日本遺産について
中芸地域の特徴
歴 史
「本鉄道は便さず、すべて便乗するもすべての危険は自己の負担と心得べし」という有名な制札が立てられ、命の保証はないにもかかわらず、杣夫達は華やかな文化にあこがれ町へ下り、町民と杣夫とが酒を酌み交わしたことでしょう。
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商人の町として華やかな町民文化を育み、なかでも御用商人である田野五人衆の筆頭・米屋の岡家は有名で、岡御殿には今も当時の栄華がしのばれます。活気に満ちあふれた町には、料亭が建ち並び、華やかな文化に包まれました。土佐漆喰と石ぐろ壁の町並みがだるま夕日に照らされ紅く染まる時間には、「鰹の土佐造り」や「鰹のタタキ」、大きな浅皿に様々な料理を豪華に盛り込んだ「皿鉢料理」が並び、土佐の食と酒の饗宴である「おきゃく」が毎夜繰り広げられたといいます。
「本鉄道は便さず、すべて便乗するもすべての危険は自己の負担と心得べし」という有名な制札が立てられ、命の保証はないにもかかわらず、杣夫達は華やかな文化にあこがれ町へ下り、町民と杣夫とが酒を酌み交わしたことでしょう。
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自 然
年平均降雨量が4,000mmを越える日本有数の多雨地帯には四国で数少ないスギ天然林が分布し、千本山をはじめ原始的森林景観が広がっています。そこから流れる安田川と奈半利川の二本の清流には、数多くの野鳥や魚が生息しています。
なかでも利き鮎大会で日本一をとったことのある天然鮎を求めて、6月〜9月には多くの釣り人で賑わいます。中芸地域のキャンプ場に泊まれば、日本遺産の自然を満喫することができます。
年平均降雨量が4,000mmを越える日本有数の多雨地帯には四国で数少ないスギ天然林が分布し、千本山をはじめ原始的森林景観が広がっています。そこから流れる安田川と奈半利川の二本の清流には、数多くの野鳥や魚が生息しています。
なかでも利き鮎大会で日本一をとったことのある天然鮎を求めて、6月〜9月には多くの釣り人で賑わいます。中芸地域のキャンプ場に泊まれば、日本遺産の自然を満喫することができます。
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産 業
杣夫は、手斧だけで急峻な地形から樹齢300年を超える巨木を伐り倒し、「ゑいや、ゑいや」と引く声は谷峯までも響き渡り、天地も振動させるほどだったそうです。明治末から敷設がはじまり、中芸一帯を大量の木材を載せて駆け巡った魚梁瀬森林鉄道、通称“りんてつ”は、林業の隆盛とこの地の繁栄を象徴するものです。
1960年代、全国的に林業が衰退するなかで、当地の林業も次第に陰りをみせ、“りんてつ”も廃線を迎えることになりました。今でも数多くの遺構が残っており、当時の隆盛を知ることができます。
中芸地域の人びとが林業に代わる新たな産業として振興したのがゆず栽培です。“りんてつ”にのって木材が行き交った山間や川沿いに、人びとは丁寧に畑を開き、丹精込めてゆずを植え育てていきました。こうして栽培が拡大した中芸地域のゆずは、今では日本一の生産量を誇り、世界に輸出されるまでになっています。時代の変化を生きる人びとの手によって、中芸地域の産業は林業からゆずへと姿を変えたのです。
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杣夫は、手斧だけで急峻な地形から樹齢300年を超える巨木を伐り倒し、「ゑいや、ゑいや」と引く声は谷峯までも響き渡り、天地も振動させるほどだったそうです。明治末から敷設がはじまり、中芸一帯を大量の木材を載せて駆け巡った魚梁瀬森林鉄道、通称“りんてつ”は、林業の隆盛とこの地の繁栄を象徴するものです。
1960年代、全国的に林業が衰退するなかで、当地の林業も次第に陰りをみせ、“りんてつ”も廃線を迎えることになりました。今でも数多くの遺構が残っており、当時の隆盛を知ることができます。
中芸地域の人びとが林業に代わる新たな産業として振興したのがゆず栽培です。“りんてつ”にのって木材が行き交った山間や川沿いに、人びとは丁寧に畑を開き、丹精込めてゆずを植え育てていきました。こうして栽培が拡大した中芸地域のゆずは、今では日本一の生産量を誇り、世界に輸出されるまでになっています。時代の変化を生きる人びとの手によって、中芸地域の産業は林業からゆずへと姿を変えたのです。
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